南の島でダウンジャケットを着ていた人

総務部用土品課の井上さんは、南の島でダウンジャケットを着ていた人、その人だ。私が入社した頃はまだ会社も景気が良く、社員旅行は常夏の島だった。安い時期を選ぶと日本は真冬になるが、会社の創立記念日と合わせ4連休となることが多い2月の上旬が、社員旅行になることが多かった。恥ずかしいことに私は、社会人になるまで海外旅行というものをしたことがなかった。女子大のお友だちの多くは、仲間と連れ立ってハワイやオーストラリア、イタリアなどあちこちに旅行していたようだが、私は家が厳しく、友人同士の旅行が許されるのは国内のみだった。

会社の社員旅行で初めて、海外の、それも常夏の島に出かけ、その時に私たちの一行の中に、暑い空港内を、黒く分厚いダウンジャケットを着てたたずむ彼を見た。近年はやっている薄くて暖かいプレミアムダウンなどというものはその頃はなく、井上さんのダウンはまさに真冬に着る防寒着。色も黒くて、常夏のトロピカルムード漂う空港内では、それはそれは異質な物として映っていた。多くの他の社員が、仲間内で声をかけあい日本の空港に預けてきた冬の衣料を、彼はそのまま南の島に持ち込んでしまったのだ。ところが彼は、そんな格好でも恥ずかしそうな顔をするでもなく、まるで彼の周りだけ涼風が吹いているかのように、涼しい顔をして社員旅行の次の行程を待っているから驚いた。

そんな井上さんが、勤続10年ですっかりお局となってしまった私の、将来の伴侶になると決まったのはつい先日のことだ。自分でもとても驚いているが、周囲も驚き、そして大変祝福してくれた。一人だけいつもと変わらず涼しい顔をしているのは、やっぱり井上さんなのだ。